2011-05-20(Fri)
ここ数日になって、ようやくブログを更新出来たけど・・・
3月11日以降、なかなかブログを書けませんでした。
ずーっと、ドーンとしたものが心のどこかにあって
でも、何もしない自分がいて
今だからではなく
ずっとそうして来たのだということを改めて自覚。
9月11日でも、3月11日でもなく、ずっとそうだったのです。
他人事にして、見ないことにして生きていました。
大黒座で 『 樺太 1945年夏 氷雪の門 』 が上映されることを知った頃に、
町内に満州で電話交換手として働いてた方がいらっしゃると知って
マルセイニュースでご紹介させていただくためにお話しを聞きかせていただきました。

柴田テイコさん、89才。
柴田さんからお聞きした満州から引き上げるときの戦場体験のお話は、
ほんの一部しかご紹介できなかったけれど、深く心に残りました。
「沖縄はかわいそうだ。沖縄は今でも町の真ん中を基地に占領されていて、
何することも出来ないで、本当にかわいそうだ。」 と、柴田さんが話されました。
戦争の悲惨さを知っている人だからこそ出てくるこの言葉なのですね。
他にも、「今だから話せるし、今だからこそ話しておかなくてはならないね。」 と、
本当に生々しい戦争体験を聞かせていただきました。
満州から浦河に引き上げてきた戦争体験などを聞いた後に見た映画、『 氷雪の門 』 。
出演していた役者さんも素晴らしかったし、映画そのものにも感動しました。
映画を見ながら、柴田さんからお聞きした戦地での話がリアルに重なって
スクリーンだけでなく、柴田さんのその時の映像も見えているように重かった。
敗戦による終戦を迎えていたのにもかかわらず、命を落とした大勢の方々がいました。
真実を知らされなかった人々がいたことは、歴史が証明しています。
あの頃、この素晴らしい映画が日本中で上映されていたなら、
今日の北方領土問題のみんなの意識も、今とは全然違っていたかもしれない。
他人事ではなく、自分の事として考える人がもっといたことだろう。
そう思いました。
史実を知らない自分を恥ずかしかったし、
まったく他人事としてしてしか感じてこなかった自分も恥ずかしかった。
そして、今。
震災はもちろんですが、原発のことも同じだと思います。
放射能汚染のことも含めて、今どれほどの危険に直面していることか。
本当は、こうしている間にも色々な事実が着実に動いているに違いありません。
柴田さんがかわいそうだと話されていた沖縄だってそうです。
沖縄の人だけが、ずっと背負わされてきた犠牲が今も続いています。
自分の身にふりかかって来なければ、見て見ない振りをしたりしながら
知らんぷりをして何もしようともしない自分。
でも、今回の原発のことでも気づいてしまった。
だから、変わらないといけませんね。
雨宮 処凛が、「 反原発デモが盛り上がっています 人の犠牲の上に立つ社会とは 」という寄稿を
毎日新聞に寄せていたけれど、原発反対のデモが新聞紙上に書かれるようになったのはようやく最近のこと。
札幌や東京や、あちこちで何千、何万人ものデモがあったって
テレビも新聞も何も伝えて来なかったのに・・・
きっと、流れが変わったのを察知したに違いないね。
社会が変わる時が来ているんですね。
きちんと変わらないと、大変なことになってしまいますね。
自分のことも、そう思っています。
変わらなくっちゃね。
若い人に教えられることの多い52才も、頑張らないとねー。
あーー。
何だか支離滅裂だけどこうして書くことができて、ようやく少しだけスッキリしたかな。
ずっとずっと重苦しかったけど、少しだけ気持ちが軽くなったかも。

春の草花が芽吹くパワーや太陽の光から力を分けてもらえたのかな。
これで、少しは以前のようにときどき日記を続けられそうです。
はぁー~・・・
3月11日以降、なかなかブログを書けませんでした。
ずーっと、ドーンとしたものが心のどこかにあって
でも、何もしない自分がいて
今だからではなく
ずっとそうして来たのだということを改めて自覚。
9月11日でも、3月11日でもなく、ずっとそうだったのです。
他人事にして、見ないことにして生きていました。
大黒座で 『 樺太 1945年夏 氷雪の門 』 が上映されることを知った頃に、
町内に満州で電話交換手として働いてた方がいらっしゃると知って
マルセイニュースでご紹介させていただくためにお話しを聞きかせていただきました。

柴田テイコさん、89才。
柴田さんからお聞きした満州から引き上げるときの戦場体験のお話は、
ほんの一部しかご紹介できなかったけれど、深く心に残りました。
「沖縄はかわいそうだ。沖縄は今でも町の真ん中を基地に占領されていて、
何することも出来ないで、本当にかわいそうだ。」 と、柴田さんが話されました。
戦争の悲惨さを知っている人だからこそ出てくるこの言葉なのですね。
他にも、「今だから話せるし、今だからこそ話しておかなくてはならないね。」 と、
本当に生々しい戦争体験を聞かせていただきました。
満州から浦河に引き上げてきた戦争体験などを聞いた後に見た映画、『 氷雪の門 』 。
出演していた役者さんも素晴らしかったし、映画そのものにも感動しました。
映画を見ながら、柴田さんからお聞きした戦地での話がリアルに重なって
スクリーンだけでなく、柴田さんのその時の映像も見えているように重かった。
敗戦による終戦を迎えていたのにもかかわらず、命を落とした大勢の方々がいました。
真実を知らされなかった人々がいたことは、歴史が証明しています。
あの頃、この素晴らしい映画が日本中で上映されていたなら、
今日の北方領土問題のみんなの意識も、今とは全然違っていたかもしれない。
他人事ではなく、自分の事として考える人がもっといたことだろう。
そう思いました。
史実を知らない自分を恥ずかしかったし、
まったく他人事としてしてしか感じてこなかった自分も恥ずかしかった。
そして、今。
震災はもちろんですが、原発のことも同じだと思います。
放射能汚染のことも含めて、今どれほどの危険に直面していることか。
本当は、こうしている間にも色々な事実が着実に動いているに違いありません。
柴田さんがかわいそうだと話されていた沖縄だってそうです。
沖縄の人だけが、ずっと背負わされてきた犠牲が今も続いています。
自分の身にふりかかって来なければ、見て見ない振りをしたりしながら
知らんぷりをして何もしようともしない自分。
でも、今回の原発のことでも気づいてしまった。
だから、変わらないといけませんね。
雨宮 処凛が、「 反原発デモが盛り上がっています 人の犠牲の上に立つ社会とは 」という寄稿を
毎日新聞に寄せていたけれど、原発反対のデモが新聞紙上に書かれるようになったのはようやく最近のこと。
札幌や東京や、あちこちで何千、何万人ものデモがあったって
テレビも新聞も何も伝えて来なかったのに・・・
きっと、流れが変わったのを察知したに違いないね。
社会が変わる時が来ているんですね。
きちんと変わらないと、大変なことになってしまいますね。
自分のことも、そう思っています。
変わらなくっちゃね。
若い人に教えられることの多い52才も、頑張らないとねー。
あーー。
何だか支離滅裂だけどこうして書くことができて、ようやく少しだけスッキリしたかな。
ずっとずっと重苦しかったけど、少しだけ気持ちが軽くなったかも。

春の草花が芽吹くパワーや太陽の光から力を分けてもらえたのかな。
これで、少しは以前のようにときどき日記を続けられそうです。
はぁー~・・・
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