2011-05-27(Fri)
マルセイニュースは毎月必ず発行中で、毎月締め切りに追われていますが、
それが仕事の一部になってから早くも6年が過ぎました。
読んでいただいて、ありがとうございます。
いつもありがとう。
楽しみにしているよ。
そんなメッセージに背中を押されながら、会社のみんなで編集しています。
今月は浦河にあった村岸酒造店を追っていたら、浜町の“のはた商店“ にたどりつきました。

大通り2丁目のNTT付近一帯にあったという村岸酒造店は、ご存じですか?
そういえば酒蔵が残っていたようですが、残念ながら昭和34年生まれの私には鮮明な記憶はありません。
写真は、『 浦河百話 』の中の『 第十八話・酒造りの記 』より
村岸徳次郎と酒造店の人々 (前列右から二人目が杜氏だった野畑栄吉さん)
博物館に手がかりを求めてみたものの、残念ながらほとんど資料はありませんでした。

あったのは、法被(はっぴ)と量り売り用のとっくりくらい。
みんな、これを持参してお酒を買いに行っていたのかな?

村岸さんのご家族は、今は札幌にいらっしゃるそうで急ぎの取材は無理なのであきらめようとしていました。
が、そこで杜氏をしていたのが “のはた商店“ の初代だったということを知りました。
杜氏を辞めてから、酒屋さんになったんですね。
なるほど。なるほど。
このことを記載したマルセイニュース78号は、こちらでご覧いただけます。
歴史を知るのって面白いんですね。
それが仕事の一部になってから早くも6年が過ぎました。
読んでいただいて、ありがとうございます。
いつもありがとう。
楽しみにしているよ。
そんなメッセージに背中を押されながら、会社のみんなで編集しています。
今月は浦河にあった村岸酒造店を追っていたら、浜町の“のはた商店“ にたどりつきました。

大通り2丁目のNTT付近一帯にあったという村岸酒造店は、ご存じですか?
そういえば酒蔵が残っていたようですが、残念ながら昭和34年生まれの私には鮮明な記憶はありません。
写真は、『 浦河百話 』の中の『 第十八話・酒造りの記 』より
村岸徳次郎と酒造店の人々 (前列右から二人目が杜氏だった野畑栄吉さん)
博物館に手がかりを求めてみたものの、残念ながらほとんど資料はありませんでした。

あったのは、法被(はっぴ)と量り売り用のとっくりくらい。
みんな、これを持参してお酒を買いに行っていたのかな?

村岸さんのご家族は、今は札幌にいらっしゃるそうで急ぎの取材は無理なのであきらめようとしていました。
が、そこで杜氏をしていたのが “のはた商店“ の初代だったということを知りました。
杜氏を辞めてから、酒屋さんになったんですね。
なるほど。なるほど。
このことを記載したマルセイニュース78号は、こちらでご覧いただけます。
歴史を知るのって面白いんですね。
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